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【企業創業】50人未満の重大災害・安全保健書類手続き — 労災申請はしたが報告が漏れていた場合

September 14, 2026황윤상 행정사AI

その工場の3番梱包ラインは、今でも動いています。変わったのは、ローラーの前に付いた透明なカバー一つと、そのカバーを開ければ機械が自動的に止まるという事実の二つだけです。3ヶ月前だけなら、そのラインが翌年も動くかどうか、誰も保証できませんでした。

仁川延寿区松島に事務所を構える行政書士です。仕事の中で出会ったエピソードを一つご紹介します。🏭

この話は、指の骨折一件から始まります。人が大きく怪我をした事故ではありませんでした。しかし、その一件のせいで、26人が働く小さな工場が取引先の売上の半分以上を失うところでした。事故そのものよりも、事故の後に対応すべき書類が一つ欠けていたためです。そして、その欠けた書類を探していく過程で、誰も知らなかった本当の原因が明らかになりました。

## 元請けから届いたチェックリスト

9月第一週の火曜日の午前、事務所のメールボックスに長いメールが一通届きました。送り主は、仁川の工業地帯で段ボール梱包材の工場を運営する30代前半の女性代表でした。紹介してくれたのは、数年前に当事務所で工場の登録変更をサポートしてもらった近隣企業の社長でした。

メールにはファイルが一つ添付されていました。その工場の売上の60%近くを占める食品会社、つまり元請けが送った「協力企業の安全保健レベル評価」の依頼書でした。元請けは毎年秋になると協力企業を再評価し、翌年の物量契約に反映させるのですが、今年は評価項目が格段に増えていました。提出期限は9月26日。評価結果が「不適合」であれば、翌年の契約対象から外れる可能性があるという文言もありました。

依頼書の最下部、赤字で表示された項目が一つありました。

「最近1年以内に産業災害が発生した協力先:産業災害調査表の提出写しおよび再発防止策の履行状況の添付必須。」

代表は評価書の自己点検欄に、8月に起きた事故を正直に記入したと言いました。しかし、この行を読んでから手が止まったそうです。産業災害調査表。初めて耳にする書類でした。

その工場は、父親が25年間営んできた場所でした。代表は1年半前に父親が引退する際、工場を引き継ぎました。それ以前はソウルの流通会社で企画の仕事をしていたそうです。営業と数字には自信がありましたが、工場の現場の安全書類は、父親の時代に工場長が責任を持って管理していた領域でした。その工場長は去年の春、健康問題で退職しました。

工場の建物には、まだ父親の名義の融資保証がかかっていました。26人の従業員のうち、半分は父親の時から働いている人々でした。元請けの分量がなくなれば、彼らの翌年の仕事が揺らぎます。代表がメールの最後に短く書いた文章は、「私が何を落としたのかから知りたいです」というものでした。

## 面会前にまず確認した日付

メールを読み、私が最初に確認したのは事故の日付でした。8月11日月曜日の午後。3番梱包ラインで働いていた20代後半の男性作業者が、ローラーに指が挟まって骨折し、医師の診断は3週間の休業でした。

「産業安全保健法」第57条は、事業主が産業災害の発生事実を隠さずに報告することを定めており、「産業安全保健法施行規則」第73条は、死者が発生したり、3日以上休業を必要とする負傷者が発生した場合、事業主が災害が発生した日から1ヶ月以内に産業災害調査表を作成し、管轄の地方雇用労働官署に提出するように定めています。平易に言えば、3日以上休まなければならない事故が発生すれば、1ヶ月以内に労働庁に「このような事故が起き、原因はこうであり、今後はこのように防ぐ」という報告書を提出しなければならないという意味です。

8月11日に起きた事故であれば、期限は9月11日頃です。メールが届いたのは9月2日。あと10日余りありました。 ⏰

期限内でした。幸いでしたが、余裕があるわけではありませんでした。そして、元請けの評価書の赤字の行は、「調査表の写し」だけでなく「再発防止策の履行状況」まで要求していました。対策を立てることと、その対策が履行されていることを示すことは、全く別のことです。

返信を送りました。「木曜日の午前10時に工場へ伺います。事故当日に作成した記録があればすべて、そして作業者の方が勤労福祉公団に提出した書類の写しがあれば一緒に準備しておいてください。」今回は、私が行く方が良い方でした。書類だけでは分からないことが、現場には常に存在するからです。

## 産災申請と産災報告は異なる書類

木曜日の午前、約束した時間に工場に到着しました。代表は事務棟2階の小さな会議室に書類を広げて待っていました。事故当日に作業班長が書いた1枚の事故経緯書、病院の診断書の写し、そして勤労福祉公団に提出した療養給付申請書の写しでした。

「労災処理は済ませています。」代表が療養給付申請書を指しながら言いました。「作業者の方が公団に申請し、会社は事業主確認欄に押印しました。公団からも承認が出ています。私はこれで報告が終わったと思っていたのです。」

多くの方が混同するポイントがまさにここです。

勤労福祉公団に提出する療養給費申請は、怪我をした勤労者が治療費と休業給付を受けるための「補償」の手続きです。労働庁に提出する産業災害調査表は、事業主が事故を報告し、原因と再発防止計画を明らかにする「予防」の手続きです。受け取る機関も、提出する人も、目的もすべて異なります。公団に療養申請が出されたからといって、労働庁への報告が別途済んだとみなされるわけではありません。両方とも個別に対応する必要があります。

代表はしばらく療養給費申請書を見つめた後、尋ねました。「では、もう手遅れなのですか?」

「まだ期限内です。ただ、この書類を正しく作成するには、原因の欄と再発防止計画の欄を埋める必要がありますが、今ある経緯書ではその欄を埋めることができません。」

作業班長が書いた経緯書の原因欄には、一行だけ書かれていました。「作業者の不注意」。対策欄には「安全教育の実施」。事故当日の夜、病院へ行った後に急いで書かれた書類でした。当時はそれが最善だったでしょう。しかし、この二行をそのまま調査表に転記すると、元請評価書の「再発防止対策の履行状況」の欄には書く内容がありません。「教育しました」の一文だけでは、履行状況とはならないからです。

## あらかじめ引いた線

幸い、この工場には父の代から4大保険と給与業務を任せてきた労務法人がありました。

そのため、役割をこのように分けました。産業災害調査表は代表の名義で代表が作成し提出し、労務法人の労務士が最終確認を行う。私は調査表の事実関係を裏付ける資料を集め、元請評価書の提出資料全体の枠組みを作り、安全保健公団側の支援申請を担当する。その日の午後、労務士と3人で短く通話し、この分担を確認しました。労務士は「調査表の草案が届いたら、2日以内に確認します」と言いました。

仕事には順序があり、その順序は期限が決めるものです。私はカレンダーを広げ、逆算しました。調査表の提出目標日は9月9日(火)です。期限ギリギリまで引き延らす理由はありません。労務士の確認に2日、勤労者代表の確認に1日、予備として1日を引くと、草案は遅くとも9月5日(金)には出なければなりませんでした。今日は4日(木)でした。

## 重大災害処罰法という言葉の重み

会議が終わる頃、代表が慎重に尋ねました。「ところで、私、重大災害処罰法で処罰されることはないのですか? 数年前から私たちのような小さな工場にも適用されると聞きましたから。」

事故のあと、代表が最も長く抱え続けていた心配事がこれでした。毎晩インターネットで「重大災害 経営者 拘束」といった記事を検索して読んでいたそうです。

二つのことを分けて説明しました。

一つ。「重大災害処罰等に関する法律」第2条で定められた「重大産業災害」とは、死者が1人以上発生するか、同じ事故で6ヶ月以上の治療を要する負傷者が2人以上発生するか、同じ有害要因で職業性疾患の患者が1年以内に3人以上発生する場合を指します。今回の事故は、一人が3週間休業した骨折でした。法律が定める重大産業災害には該当しません。

二つ。だからといって、この法律がこの工場と無関係だという意味ではありません。常時勤労者5人以上50人未満の事業場にも法律が適用され始めた後、事業主は平時に安全保健管理体制を整え、履行する義務を負います。事故が起きてから発生する義務ではなく、事故が起きる前から存在する義務です。元請が今年評価項目を増やしたのも、同じ流れでした。

「今の段階で代表者がすべきことは、心配することよりも記録を残すことです。」代表はその言葉を手帳に書き留めました。その日、初めて彼の表情が少し和らいだように見えました。

## 空いていた席の一つ

金曜日の午前、調査票の草案に入れる事業場の基本情報を埋めていたところ、予想していなかった空欄を一つ発見しました。

元請けの評価書には「安全衛生に関する選任状況」という項目がありました。代表に尋ねると、父親の時代には工場長がその役割を担っていたとのことでした。工場長が春に退職した後は? 代表は答えられませんでした。

「産業安全保健法」第19条は、特定の業種の常時労働者20人以上50人未満の事業場に安全保健管理担当者を置くことを定めており、製造業がこれに該当します。担当者はその事業場の所属労働者で、安全管理者または保健管理者の資格があるか、雇用労働部が定める安全保健教育を修了した者でなければなりません。26人が働く製造工場なので、この席が必要でした。しかし、その席は5ヶ月間も空いていました。

問題は別のところからも現れました。

工場長が残した書類綴りをめくってみると、リスクアセスメントの記録はありました。ただ、日付が5年前でした。当時、外部企業の助けを借りて一度作成した書式がそのまま綴じられており、その後新しく作成された記録はありませんでした。その間に工場には新しい設備が入ってきました。事故が発生した3番ラインの梱包機は、昨年秋に入れた機械でした。新しい機械が入れば、その機械に対するリスクアセスメントを別途行う必要がありますが、その記録がありませんでした。

一つを解決しようと書類綴りを開けたら、さらに二つが出てきたようなものです。事務の仕事は、しばしばこのように進んでいきます。

## ティッシュ箱の投票箱

労働災害調査票には、労働者代表の確認を受ける必要があります。施行規則では、調査票に労働者代表の確認を受け、記載内容に労働者代表の異見がある場合はその内容を添付するように定めています。事故を会社だけで片付けるのではなく、働く人たちの側からも一度見つめてもらおうという趣旨です。

しかし、この工場には労働組合がありませんでした。労働者代表を別に選出したこともありませんでした。労務士に確認したところ、労働組合がない場合は労働者の過半数の意思で代表を選べばよく、その過程を記録として残しておくのが良いとアドバイスを受けました。代表はその日の昼休みに、すぐに選出を行うことにしました。

小さな騒動がありました。😄 投票箱として使える箱がなかったので、事務所にあったティッシュ箱からティッシュを抜き、上部を少し広げて使いました。投票用紙はA4を8つに切って作りました。開票してみると、24票のうち19票が一人の人に集中していました。その工場で12年目、フォークリフトを運転している30代後半の男性運転手でした。

当の本人は、開票の際にその場にいませんでした。入庫分を受け取るためにフォークリフトの上に乗っていたのです。同僚が倉庫まで走って結果を知らせてくれると、彼はフォークリフトから降りてしばらく笑いながら一言言ったそうです。「俺、サインするだけでいいんだよな?」

単にサインをするだけの席ではありませんでした。そして、その事実が、この事件の方向を変えました。

## 蓋を外して置いていた理由

調査票の草案を労働者代表に説明する場を月曜日の午前中に設定する際、私は代表に一つ提案しました。怪我をした作業者と、3番ラインで一緒に働く作業者たちを同じ場に呼び、事故の原因について話を聞いてみようという提案でした。

理由がありました。元請けの評価書には「従事者の意見聴取実施の有無および反映結果」という項目が別にありました。さらに、調査票の原因欄に「作業者の不注意」とだけ書くと、労働者代表から異議を唱えられる可能性が高かったのです。異議がついた調査票自体が問題ではありません。ただ、原因を正しく特定できないまま提出した調査票では、元請けが要求する「再発防止策」に使う内容が出てこないのです。

月曜日の午前、休憩室。まだ保護具を装着したままの作業者も出てきました。復帰を1週間後に控えていました。彼は入社3年目で、大学を休学している弟の学費を工面しているといいました。休業手当は出たものの、普段もらっていた残業手当までカバーすることはできませんでした。彼が最も心配していたことは別にありました。復帰したら、再びあの機械の前に立たなければならないこと。

最初の話は慎重でした。すると、労働者代表であるフォークリフトの運転手が先に口を開けました。 「あの機械、蓋を外して使ってから、結構経つだろ。」

しばらく静まりました。そして、一つずつ話が出てきました。

3番ラインの包装機のローラーの前には、もともと防護カバーが付いていました。しかし、カバーを閉めると厚い段ボールがカバーの縁に引っかかり、ラインが頻繁に止まることがありました。止まるたびにカバーを開けて引っかかった箱を取り出さなければならず、カバーがネジで固定されていたため、毎回ドライバーで緩める必要がありました。一日に数十回もありました。そんな中、誰かがカバーを完全に外して棚の上に置いておき、それが数ヶ月続いていました。事故当日も、作業者は引っかかった箱を取り出そうと手を入れ、その瞬間、ローラーが再び回転しました。

「なぜその時、その話をしなかったのですか?」と代表が尋ねました。答えは淡々としていました。事故の当日は、怪我をした人を病院へ運ぶことが最優先であり、報告書を書いた作業班長はそのラインの担当ではありませんでした。作業者本人は、自分が手を入れたことが悪いと思い、カバーの話を持ち出さなかったのです。他の人々は「みんなそうしてきたから」と、大したことではないと考えていました。誰も隠そうとしたわけではありません。ただ、誰も聞かなかっただけです。

この会話が終わってから、調査票の原因欄に書く文章が変わりました。

## 書類ではなく、一筋に繋がる記録

その日の夜、事務所に戻り、元請評価書を最初から読み直しました。今回は項目一つひとつではなく、項目と項目の間を見ながらです。

最初に読んだとき、私はこの評価書を「書類のリスト」として見ていました。安全衛生方針、リスクアセスメント記録、選任状況、教育記録、意見聴取記録、産業災害調査票。それぞれ一枚ずつ揃えればいいリストとして。しかし、読み直してみると、配点が高い項目は別にありました。「リスクアセスメントの結果が改善措置につながっているか」「従事者の意見が反映されているか」「災害発生後、同種タイプの再発防止措置が履行されているか」。これらはすべて「書類があるか」ではなく、「書類同士がつながっているか」を問うていたのです。

規定を読むのは簡単です。どの記録がどの記録につながっているかを見極めるのは難しいことです。

そこで計画を立て直しました。書類を6枚バラバラに作るのではなく、一件の事故から始まる一筋の記録としてつなげることにしたのです。

① 産業災害調査票の原因欄には、「作業者の不注意」ではなく、引っかかりが頻繁に起こるカバーの構造のせいで、カバーを外したまま作業してきたという事実と、引っかかった箱を取り出す間に機械を止める装置がなかったという事実を書く。この内容は月曜日の意見聴取の場で出た話なので、その場の記録がそのまま根拠となる。

② 再発防止計画の欄には、「安全教育」だけでなく、カバーを開ければ機械が止まる連動装置(インターロック)を取り付け、引っかかりが少ない形状にカバーを交換する設備改善を書く。設備業者の見積もりを取り、日付まで入れる。

③ 3番ラインの包装機を含む工場全体のリスクアセスメントをやり直す。これは書類を作る仕事ではなく、現場で行う仕事です。事業主と作業者が一緒に機械を一つずつ確認しながら危険要因を見つけ、何をいつまでに直すかを決める必要があります。私は安全保健公団の中小事業場技術支援を申請する書類を担当しました。専門家の現場指導を受けながら、工場のスタッフが直接評価を行うようにするためです。

④ 空いていた安全保健管理担当者の席は、工場の事情を最もよく知る人が務めることにした。代表は生産課長を推薦し、課長は必要な教育を修了することにしました。教育日程と選任書類を一緒に揃え、元請評価書には「選任予定日と教育日程」を書くことにしました。

⑤ 設備改善費用のうち一部は、50人未満の事業場の危険機械改善を支援する公団の支援事業に申請してみることにしました。選定は保証できません。それでも申請するだけで「改善計画が実際に進行中」という記録がもう一つ増えます。

代表は説明を聞いてしばらく黙った後、こう言いました。「私が最初にした質問は『何を落としたか』でしたよね。書類を一枚落としたと思っていたら、つながりを落としていたんですね。」

正解は書類の数ではなく、書類同士がつながっているかにあるのです。

## 期限の二日前の提出

火曜日の午前、調査票の草案が労務士の先生に渡りました。原因欄と再発防止計画の欄が変わった草案を見て、労務士の先生は一箇所だけ直してほしいと言いました。災害発生の経緯を時系列でより具体的に書くようにという指示でした。その日の午後、修正版が戻ってきました。

水曜日、労働者代表であるフォークリフト運転手の方が調査票を読みました。月曜日に「署名するだけでいいんですよね?」と言っていた方が、今度は一行ずつ指で追いながら読みました。そして原因の欄を指して言いました。「これは私たちが話した通りの内容ですね。」異議なく確認欄に署名しました。

調査票は9月9日火曜日、期限を2日残して管轄の地方雇用労働事務所に提出されました。提出は代表者が直接行い、受付の事実は写しと共に保管しました。元請に提出する写しもこのように確保されました。

その週の木曜日には、公団の技術支援申請が受理され、翌週の初めに担当者と現場訪問の日程が決まりました。設備業者はインターロックの設置を2週間以内に完了できるという見積もりを送ってきました。代表は契約書に判を押した日、棚の上にあった古いカバーを自ら降ろして倉庫へ移動したと言いました。

## 公団担当者が訪れた日

その翌週の水曜日、安全保健公団の技術支援担当者が工場を訪れました。私もその日の午前中に工場に立ち寄りました。私が機械の扱いを心得ているからではありません。その日に出た話を元請の資料と公団の支援事業申請書にどのように落とし込むかを決めるため、現場で直接聞く方が正確だったからです。

担当者は書類から見始めませんでした。代表と生産課長、労働者代表の運転手、3番ラインの作業員2人を連れて工場を一周しました。裁断機、接着機、梱包機、フォークリフトの通路。機械の前に立つたびに、担当者は同じ質問をしました。「この機械で一番不安な瞬間はいつですか?」

答えは代表ではなく、作業者たちの口から出ました。裁断機の刃を研ぐ際に電源を切る順序が人によって違うこと、接着機の横の床が糊のせいで滑りやすいこと、午後の入荷時間にはフォークリフトと人が同じ通路を使うこと。5年前の危険性評価の書式には一行もなかった話です。その書式は事務所で外部業者が埋めたものだったからです。

担当者は危険性評価の作成方法を教えながら、こう言いました。「これは私たちが代わりに書くのではなく、ここにいらっしゃる方々が書くものです。私は漏れがないかだけを見てくれます。」私が代表に最初に伝えた言葉と同じ内容でした。危険性評価は書類で作るのではなく、現場で行うものです。

その日の午後、私は2つのことを準備しました。一つは、現場巡回で出た危険要因を、元請の評価書の「危険性評価の実施および改善計画」の欄の構造に合わせて移し替える作業でした。元請の様式は、危険要因、危険レベル、改善策、完了予定日、担当者を一行に書くことになっており、公団の評価表とは順番が少し異なりました。同じ内容を2つの様式に別々に書くと数字が食い違うことが多いため、公団の評価表を原本とし、元請の様式はそこから転記する方式に決めました。もう一つは、設備改善支援事業の申請書でした。申請書の「改善の必要性」の欄には、事故の経緯と意見聴取の記録、公団の現場指導の結果を順に記載しました。事故が発生し、原因を確認し、専門家の指導まで受けた改善という流れが一枚の申請書に収まるように。

帰り道、代表が笑いながら言いました。「今日、一番多く話した人は私ではありませんでした。」それがこの日の訪問の最大の成果でした。

## 元請に提出したもの、提出できなかったもの

9月26日に元請の評価資料を提出する際、すべてが終わっているわけではありませんでした。危険性評価は公団の指導を受けて1次を終えたばかりの状態で、インターロックは設置中であり、安全保健管理担当者は教育を半分ほど受けていた状態でした。

ここで選択が必要でした。すべてが終わるまで待って完璧な資料を出すか、あるいは終わったものと進行中のものを区別して期限内に出すか。

私は後者を勧めました。元請の評価は期限を過ぎれば完全に「未提出」として処理されます。一方で、進行中の項目は日付の入った履行計画と中間証拠を添付すれば、「進行中」として評価される余地があります。終わっていないことを終わったと書くことは絶対にいけませんが、終わっていないことをいつまでに終わらせるかを証拠とともに書くことは、むしろ誠実さの証となります。

そのため、提出資料を3つの欄に分けました。完了(産業災害調査表の提出、労働者代表の選出、従事者の意見聴取、古い蓋の撤去)、進行中(リスクアセスメント1次結果と2次日程、インターロック設置契約書と工程表、担当者の教育修了予定日)、計画(年間安全保健教育日程、四半期ごとの意見聴取日程)。各欄には根拠書類を添付しました。そして一番前の1枚には、1件の事故から始まり、原因確認、意見聴取、リスクアセスメント、設備改善、教育へと続く流れを1つの表で描きました。

## 条件付き適合、そして3ヶ月

10月中旬、元請の評価結果が出ました。「条件付き適合」。進行中の項目を12月までに完了し、履行点検を受けることが条件でした。翌年の物量契約は維持されました。

その間にインターロックが取り付けられました。新しい蓋は引っ掛かりの少ない形状に変更され、蓋を開けるとローラーが止まるようになりました。復帰した作業者が初日に一番最初にしたことは、蓋を数回開け閉めしてみることだったそうです。機械が止まるのを確認してから、ようやく自分の位置についたといいます。

リスクアセスメントの2回目は11月に終わりました。工場のスタッフが直接回りながら見つけた危険要因は11個で、そのうち8つは年末前に改善しました。フォークリフトの動線と歩行通路が重なる区間に床の表示を新しくしたのもその一つで、提案したのは労働者代表の運転手の方でした。生産課長は教育を終え、安全保健管理担当者に選任されました。

12月の元請による履行点検で「適合」が出ました。工業団地の設備改善支援事業は翌年初めに選定通知を受け、インターロック設置費用の大部分を支援してもらいました。すべてではありませんでしたが、小さな工場にとっては決して少なくない金額でした。

## 再び動き出すライン

評価結果が出た日の午後、代表から短いメッセージが届きました。工場の写真1枚と共に。夕暮れ時の工場の前で、退勤する従業員たちを撮った写真でした。 🌇

メッセージにはこう書かれていました。「父に結果を伝えました。工場長がいた時も、その蓋はなかったそうです。私の代で付くことになりました。」

振り返ってみれば、この件で決定的な書類は別にありませんでした。産業災害調査表は期限内に提出し、元請の資料は日付を守り、リスクアセスメントは現場で行いました。ただ、それらの書類を一つに繋げたのは、月曜日の午前、休憩室で出た一言でした。「あの機械、蓋を外して使ってから結構経つよね。」

事故の後の書類は、事故を隠すために書くのではありません。次の事故を防ぐために書くのです。その違いを書類の中に込めておけば、書類は負担ではなく、工場を守る記録になります。仁川延寿区の事務所の窓の外に見える工業団地の方の灯りを見るたびに、時々その3番ラインを思い出します。

## このような状況なら、まず確認してください ✅

① 3日以上休業が必要な事故が発生したなら、工業団地の療養申請とは別に、労働庁に提出する産業災害調査表の期限(災害発生日から1ヶ月)をまず確認してください。

② 調査表には労働者代表の確認が必要です。労働組合がない場合は、労働者代表の選出手順から手配してください。

③ 原因の欄に「不注意」とだけ書く前に、現場作業者の話を聞いてみてください。本当の再発防止策は、たいていそこから出てきます。

④ 20人以上50人未満の製造業なら、安全保健管理担当者のポストが空いていないか、新しい設備を導入した後にリスクアセスメントをやり直したかを確認してください。

⑤ 元請の評価や機関への提出期限が迫っているのにすべてが終わっていない場合は、完了・進行中・計画に分けて、証拠とともに期限内に提出する方が安全です。案件ごとに要件が異なるため、個別の確認が必要です。

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この文章は実際の相談事例をもとに再構成したもので、登場する人物・名称・地名・数値は特定の個人や事件とは無関係です。

## 事務所のご案内

仁川松島(ポスコタワー松島)に位置する行政書士事務所です。行政審判・認可/申告代行、外国人の出入国(ビザ・滞在)、定期的な行政管理を扱います。事故の後に関係機関や取引先に提出する安全保健書類を期限に合わせて整理する仕事も、サポートしています。似たような状況であれば、お気軽にお問い合わせください。

📍 住所:仁川延寿区コンベンシア代路 165, ポスコタワー松島 2697号 📞 電話:010-3374-2687 🌐 ホームページ:www.hwangadmin.com

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